慣れると馴れる【新型コロナウイルスと心理学①】

コラム

2種類の「なれる」

「なれる」という言葉には「慣れる」と「馴れる」の2種類の漢字が使われることがあります。
この両者の違いを考えたことがある人はいらっしゃるでしょうか。

おそらくほとんどいないのではないでしょうか。
かくいう私もその中の一人ですが、ここで少し考えてみたいと思います。

前者は、「習慣」や「慣用句」という熟語に表されるように、経験を重ねる様子やしきたりを意味するニュアンスがあります。
一方で後者は「馴れ馴れしい(なれなれしい)」や「動物が人に馴れる」のように、調和や警戒心がほぐれていく様子を意味するニュアンスがあります。

「なじむ」という言葉にも後者の「馴染む」があてられます。

危険を危険と認識できなくなる

行動心理学の分野には「馴化(じゅんか)」という概念があります。

馴化とは、「ある一定の刺激にさらされ続けると、その刺激に対して反応しなくなっていく」ということで、人間だけでなく動物でも見られる現象です。

たとえば、目覚まし時計のうるさいアラームを想像してください。
買ったばかりの目覚まし時計のアラーム音はとても不快に感じられ、どんなに深い睡眠をとっていても一撃で目を覚ましてしまいます。

しかし、どれほど不快な目覚まし時計のアラームでも、一週間、一ヶ月と使い続けていくと、買った当初と比べると不快感が減少していきます。

これが、「馴化」です。すなわち、刺激に「馴れ」てしまうということです。

最近では、目覚まし時計にスマートフォンのアラーム機能を使用している人が多いと思いますが、スマートフォンには複数のアラーム音が用意されていることが多いので、目覚ましの効果が薄くなったと感じた方はアラーム音を変更することをお勧めします。

馴化と新型コロナウイルス

現在、日本では首都圏を中心に緊急事態宣言が発令され、その他の多くの地域でも新型コロナウイルス感染予防のためにさまざまな活動の自粛が求められています。

東京都を例に挙げると、本コラムを執筆している2021年では、緊急事態宣言を発令している期間の方が、そうでない期間よりも圧倒的に長く、宣言の解除も再三延期され、終着地点が見えないのが現状です。

これは、馴化が起こる典型的な状況でしょう。

度重なる宣言の発令や延長により、宣言の出ている日常が当たり前となってしまったため、人々が恐怖に「馴れ」てしまったのです。

一度馴化が生じてしまえば、警戒心は徐々に低下してしまいます。
その結果が、緊急事態宣言であっても、街中が人で賑わうという現状なのです。

馴れている自分に気づく

さて、本コラムは、政府の対応の批判をしたいわけでも、政策の提言がしたいわけでもありません。
スマートフォンのアラームとは異なり、緊急事態宣言は、簡単にその音色を調整することはできません。

これから、私たち一人一人が適切に行動していくことが大切です。

そのために、まず「馴れている」自分に気づくことから始めましょう。
「それだけでいいのか」と思うかもしれませんが、自分の行動を律するためには自分自身を客観的に見つめることが重要です。

また、「馴化」している状態では、その他の刺激に注意が向きにくくなると言われています。
「終わりの見えない緊急事態宣言」という現状にのみ注目してしまい、適切な情報に触れることが少なくなるかもしれません。
そして、その状況が続いてしまうと警戒心の低下や自粛疲れに発展してしまうかもしれません。

自分がこの日常に「馴化」してしまっていること、そして人によっては警戒心が低下していることをしっかりと認識しましょう。

また、適切な情報を収集し自らの置かれている現状を正しく認識することで、「脱馴化(だつじゅんか=馴化から抜け出す)」を目指しましょう。

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